2011年04月17日
災害は想定しちゃいけないのか?
次の災害関連記事を、まずお読みください。
ちょっと落ち着いて、当時の様子、事実を語られるようになってきています。
読むと津波の恐ろしさに「ゾッ」としますが・・・
▼東日本大震災:弱者襲う津波 高齢者、車椅子 高台行けず
http://mainichi.jp/photo/news/20110417k0000m040109000c.html
ワタクシ的には、最後の市長のコメントが心に引っ掛かりました、、、
余談ですが、昨年、
自分は某ボランティア団体で、ある人と討論になり論破してしまい、
論破された相手が団体を辞めるという事態になってしまいました。
その時の彼も、上記の市長のような、似たような言葉を発していました。
「想定されない最悪な事態のマニュアルも作成しなければ・・・」と。
そのとき、自分は
「想定されるからマニュアルが作られるのであって、想定できなことにマニュアルが作られるはずもない」と反論しました。
だから、そういう発言の経緯もあり、先ほどの市長の言葉は、すごく違和感を感じるです。
あまり、
言質を取ったり、批判したくはないのですが、
「災害は想定しちゃいけない。」ではなく、「最悪の事態も想定しておく!」が適切な表現では? と思ってしまいます、、、
批判するのは、自分の悪い癖ですが、、、
先ほどの、
岩手県陸前高田市の例で言えば、
いつも避難訓練の避難場所は、陸前高田市民体育館に指定されていたとのこと。
上記の記事を読んでいて、
自分が間違っていた、問題だった思う指摘箇所は次の2点。
・ラジオをつけると「予想される津波の高さは6メートル」と伝えていた。
・津波警報が出たら体育館に行くよう訓練(毎年5月実施)していた。
まず、
予想される津波の高さで、
・避難所を体育館に行くのか? 高台に行くのか?
で、選択するのではなく、
津波が到達するとされる予測時刻まで、時間の許す限り、
一番海抜の高いところへ逃げる!
ってのが、鉄則のような気がします。
行動を起こす基準(避難所へ行く基準)が、
予想される津波の高さではなく、予想される到達時刻に焦点をあてるべきだった・・・と。
結局、
生きるか死ぬかのデッドライン(死の境界線)は、
ほぼ、避難所を高台にするか体育館にするかで分かれていた感が強いので。
たぶん、上記の記事を読む限り、
体育館ではなく高台まで行ける時間があった人も、
体育館へ避難したことが考えられます。
もし、津波到達時間に焦点をあてれば、
高台へ行けた人は、体育館ではなく高台へ避難していたはずであり、
少しでも犠牲者を減らせたと思います・・・
いつしか、
災害避難訓練自体が目的化してしまった、訓練のための訓練
体育館へ避難すること自体が目的化してしまい、
【何のために避難するのか?】
という本来の目的を見失い、
「時間の許す限り、高いところへ避難せよ!」という鉄則が徹底できていなかったのではないか!?
と思わずにはいられません。
この震災を機に、
災害関連のマニュアルを作成する場合の留意点に、また教訓にしてほしいです。
避難所に避難した100人のうち3人しか生存できなかった、
岩手県陸前高田市民体育館の記事で、思ったこと、気づいたことは以上です。。。
ちょっと落ち着いて、当時の様子、事実を語られるようになってきています。
読むと津波の恐ろしさに「ゾッ」としますが・・・
▼東日本大震災:弱者襲う津波 高齢者、車椅子 高台行けず
http://mainichi.jp/photo/news/20110417k0000m040109000c.html
ワタクシ的には、最後の市長のコメントが心に引っ掛かりました、、、
「災害は想定しちゃいけない。常に最悪の事態を考えないと、大変なことになる」
余談ですが、昨年、
自分は某ボランティア団体で、ある人と討論になり論破してしまい、
論破された相手が団体を辞めるという事態になってしまいました。
その時の彼も、上記の市長のような、似たような言葉を発していました。
「想定されない最悪な事態のマニュアルも作成しなければ・・・」と。
そのとき、自分は
「想定されるからマニュアルが作られるのであって、想定できなことにマニュアルが作られるはずもない」と反論しました。
だから、そういう発言の経緯もあり、先ほどの市長の言葉は、すごく違和感を感じるです。
「災害は想定しちゃいけない。常に最悪の事態を考えないと、大変なことになる」
あまり、
言質を取ったり、批判したくはないのですが、
「災害は想定しちゃいけない。」ではなく、「最悪の事態も想定しておく!」が適切な表現では? と思ってしまいます、、、
批判するのは、自分の悪い癖ですが、、、
先ほどの、
岩手県陸前高田市の例で言えば、
いつも避難訓練の避難場所は、陸前高田市民体育館に指定されていたとのこと。
上記の記事を読んでいて、
自分が間違っていた、問題だった思う指摘箇所は次の2点。
・ラジオをつけると「予想される津波の高さは6メートル」と伝えていた。
・津波警報が出たら体育館に行くよう訓練(毎年5月実施)していた。
まず、
予想される津波の高さで、
・避難所を体育館に行くのか? 高台に行くのか?
で、選択するのではなく、
津波が到達するとされる予測時刻まで、時間の許す限り、
一番海抜の高いところへ逃げる!
ってのが、鉄則のような気がします。
行動を起こす基準(避難所へ行く基準)が、
予想される津波の高さではなく、予想される到達時刻に焦点をあてるべきだった・・・と。
結局、
生きるか死ぬかのデッドライン(死の境界線)は、
ほぼ、避難所を高台にするか体育館にするかで分かれていた感が強いので。
たぶん、上記の記事を読む限り、
体育館ではなく高台まで行ける時間があった人も、
体育館へ避難したことが考えられます。
もし、津波到達時間に焦点をあてれば、
高台へ行けた人は、体育館ではなく高台へ避難していたはずであり、
少しでも犠牲者を減らせたと思います・・・
いつしか、
災害避難訓練自体が目的化してしまった、訓練のための訓練
体育館へ避難すること自体が目的化してしまい、
【何のために避難するのか?】
という本来の目的を見失い、
「時間の許す限り、高いところへ避難せよ!」という鉄則が徹底できていなかったのではないか!?
と思わずにはいられません。
この震災を機に、
災害関連のマニュアルを作成する場合の留意点に、また教訓にしてほしいです。
避難所に避難した100人のうち3人しか生存できなかった、
岩手県陸前高田市民体育館の記事で、思ったこと、気づいたことは以上です。。。
追記)
じぶんは地震の専門家ではありません。
・想定される津波の高さより、到達する時間の方が予想しやすくないのでしょうか?
・到達時間に焦点を当てる方が、今回の3%の生存率をずっと高く上げることができるのは?
ということを思った次第です。
結果論かもしれませんが・・・
じぶんは地震の専門家ではありません。
・想定される津波の高さより、到達する時間の方が予想しやすくないのでしょうか?
・到達時間に焦点を当てる方が、今回の3%の生存率をずっと高く上げることができるのは?
ということを思った次第です。
結果論かもしれませんが・・・
Posted by PR Director at 12:43│Comments(0)
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