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2011年03月14日

「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸|遠藤美希さん

今回の東日本大震災で、
ミッション(使命)について考えさせられました。

まずは、
多くの犠牲者に対し、ご冥福をお祈りいたします。


彼らは生まれてきたときに、津波で亡くなるということが決まっていたわけではないと思います。
本当に「アクシデント、イレギュラーの天災で、命を落とした」
と自分は思います。

そう考えると、「天命」についても考えさせられました。
自分が考える【天命】とは・・・

「生まれてきた時に与えられた命の時間のこと」

そう、定義しています。

今回の東日本大震災で亡くなられた方というのは、
その【天命】を全うできなかった・・・と、考えます。

無念でなりません。


今回の震災で、わたくしが”気づいた”ことがあります。
『死』には2種類あると。

・天命を全うして死ぬ
・天命の途中で命を落とす


一般的に、
人が亡なると、人は悲しみを感じます。

【死】とは、どんな人間でも必ずそこに至ります。

自分が好きな著者に、一条真也さんというスゴイ方がいます。

彼の言葉に、興味深い問いがあります。

「人は死を不幸であると解釈しているが、果たして本当にそうなのか?」と。

もし、【死】が不幸であるなら、

「人は不幸に向かって生きている」といえるのでは?
 本当にそうなのか?と問い、
「本来、死は祝福すべきことではないのか?」と言及します。


一条さんが、サンレーの社長であったことを鑑みると、
自社の冠婚葬祭の事業を考えるうえで【死】を利用していると穿った解釈をすることもできますが、じぶんは、一条さんは【死】の本質を突いていると思います。


自分が考えるに、

【死】に関して、今回の震災で気づいたこと、感じたことは、

「人は天命を全うできれば、それだけで祝福すべきである! 」

と。

よくお年寄りが高齢で亡くなられた時に、
「天寿を全うした」と表現される あの感覚ですね。

ちなみに、
自分が定義する「天寿を全うする」とは、
病死も含みます。
病気もある意味、生まれながらにして、遺伝子情報レベルではその人々の病気の因子が分かりますし(発症するか、しないかは別問題とします)、
そういう意味では、病気で死ぬのも天命だと思います。


だからこそ、逆に、
今回のような震災で亡くなられた方々は
天命を全うできなかったことに、強くお悔やみ申し上げたいのです。
(震災だけでなく、交通事故に巻き込まれ亡くなられた方も天命を全うできなかった・・・という本質的な部分では一緒かな・・・と。)


ちょっと、というかかなり前フリが長くなりましたが、
今回の震災で亡くなられた 遠藤未希さん、25才という若さで亡くなられた役場職員の感動エピソードがあるので、ご紹介します。


「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。


「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸|遠藤美希さん


詳細は、毎日新聞の記事へ
日本大震災 「早く逃げて」命かけた防災無線…南三陸



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芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

この一文が、泣かせます。

美希さんの母の心情を察すると、とても心が痛くなります。

最後まで、
自分の職務を全うした遠藤美希に敬意を表したいです。。。

ミッション(この場合のミッションとは「使命」というより任務の意味が強いです)を遂行した方というのは、人を感動させます。


【記事全文】
 ※たまに、大もとの記事が削除されることがあるので、履歴として残しておきます。

「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

 難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

 高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋、写真も】




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Posted by PR Director at 08:39│Comments(5)今日のNEWS
この記事へのコメント
記事を読みながら

涙・涙です。



私も

自分の職務を全うした遠藤美希に
敬意を表したいです。
Posted by ストロベリーツリーストロベリーツリー at 2011年03月14日 14:41
この方ですが、現段階でも行方不明であり、まだ亡くなったと決まったわけではありません。確かに津波に飲まれ流されていくところを目撃した同僚の証言があがってはおりますが、現時点ではまだ行方不明です。
Posted by Nyatta at 2011年03月28日 21:04
私は、目の前で美希ちゃん姿を見ていました。
津波が引いていて、屋根の上に美希ちゃんがいて漁港の近くにある町営住宅の辺りで津波に飲み込まれて…助けたかったけど、見てることしか出来なくて……
Posted by みじんこ at 2011年03月28日 23:00
Nyatta さん

>現時点ではまだ行方不明

そうですね、一縷の望であっても期待したいです。



みじんこさん

>私は、目の前で美希ちゃん姿を見ていました

そうなんですか、現場にいらっしゃったということは、みじんこさんも被災者なのですね、、、


>助けたかったけど、見てることしか出来なくて…

生存者の方でも、生きててよかったと素直に喜びを表現できない複雑な心境をご察しいたします。
なんとフォローしていいか、適切な表現も見つかりません、、、
Posted by しょうやパパしょうやパパ at 2011年03月29日 07:37
311あの場にあっつてはしっつしにつくされ有り難うご冥福を祈りますとしか言葉ゎありません予期しない突然の出来事若い命をこれからの夢を奪われ残念ですー涙を今後も流される方が沢山おられることでしょう。あのときはそうするよりーーー仕方なかっつたことの悲しさニーーー今後は一つしかないいのちの大切さをいのちを戴いた人大きな意味でのそれぞれが真剣に考えmしょうーー3のオアより早く死ぬこと派のご意見はきついですねーその場にあっつての生き方は日頃時々の過ごし方からだと思いますときなくなられたいのちのためにも今後のあり方を考えましょう。親すらkに司会乗れの意むなしさを思いつつー。田口静香~熱海より朝のテレビを拝見しました。11月3日
Posted by 南三陸町遠藤真希様ご家族様へ at 2013年11月03日 08:47
 
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