2011年01月10日
成人式から思うこと
10日の成人の日を前に9日、那覇市や沖縄市、名護市など県内20市町村で成人式が開催された。市町村単位で式典が行われたところがほとんどだが、那覇市や豊見城市では各中学校区単位で実行委員会を組織し開催。県青少年児童家庭課によると、ことしは昨年より609人少ない1万6千639人が成人を迎えた。男性が8千478人、女性が8千161人。
前回紹介したことのある一条真也さんの『法則の法則』に、著者の法則が2つあります。
・自分を産んでくれた親に感謝すること。
・世のため人のために志を立てること。
この2つこそ、あなたが幸福になる二大法則であり、究極の成功法則であると著者はいいます。
・「親に感謝する」ことが、心を感謝モードにする第一スイッチである
・「感謝」こそが「幸福」にいたる道
・吉田松陰のことば「志なき者は、虫(無志)である」
・夢は私、志は公に通じている。自分ではなく世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」。この違いが重要。
上記の内容は、自分が好きな著者の文をピックアップしてみました。
ここからは私感ですが、
「成人の日」も、ぜひ「これまで育ててくれてありがとう」と親に感謝する日にすべきだと思います。
友人と飲むことなんて、これから大人になればいくらでも飲めます。
親と飲む日なんて、ほとんど機会はないわけですから、
ぜひ成人式の日は、親への感謝を述べる日、祝杯をあげる日にしてしてほしいです。
それが終われば、また友人と合流し、飲み会へいってもいいですから。
と、我が子には教育していくつもりです。。。
Posted by PR Director at 09:24│Comments(5)
│イベント
この記事へのコメント
ハイサ~イ!banban成幸者のbanbanです。ちがうかー^^
今の世の中のありがたさは親の愛情からなりですよね^^
戦後生まれのボクら年齢と今の成人した子供たちの時代は違えどボクは今は亡き母のおかげで幸せな日々を生きていると感じているさぁ。勿論父親にもね^^
今日も色々な形の出会いに感謝。ありがとう^^
今の世の中のありがたさは親の愛情からなりですよね^^
戦後生まれのボクら年齢と今の成人した子供たちの時代は違えどボクは今は亡き母のおかげで幸せな日々を生きていると感じているさぁ。勿論父親にもね^^
今日も色々な形の出会いに感謝。ありがとう^^
Posted by banban先生 at 2011年01月12日 07:08
コメントありがとう^▽^仕合せってそれぞれ価値観があるとおもいます。今時分はその価値観を探してる途中ですよ
Posted by ぶーぶーちゃん at 2011年01月12日 08:53
banban先生
貴殿のBlog、大変興味深く読ませていただきました。じぶんもビジネス書や自己啓発書等読み漁り、行き着いた先は、”幸せ”と”ミッション(使命)”という2つの本質に辿りつきました。貴殿の考えと共通することがあると思います。
ぶーぶーちゃん
未だお若いようですので、仕事だけでなく恋愛も一生懸命がんばってください。そして”本当の幸せとは何か?”を問い続けて、自分なりの価値観を作り上げてくださいね。期待しています☆
貴殿のBlog、大変興味深く読ませていただきました。じぶんもビジネス書や自己啓発書等読み漁り、行き着いた先は、”幸せ”と”ミッション(使命)”という2つの本質に辿りつきました。貴殿の考えと共通することがあると思います。
ぶーぶーちゃん
未だお若いようですので、仕事だけでなく恋愛も一生懸命がんばってください。そして”本当の幸せとは何か?”を問い続けて、自分なりの価値観を作り上げてくださいね。期待しています☆
Posted by しょうやパパ at 2011年01月12日 10:30
吉田松陰なんて大っ嫌い!
なぜなら松陰と彼の弟子たちによって「僕」「君」といった男性に特化した呼称が広まったからです。こういった言葉の性差には悩まされます。
「僕」とはしもべを意味します。辞書で「僕」を引くと、「親しい人や目下の人に対して用いる」と書かれているので、子供が「僕」と言うのは問題ないし、大人でも友達や子供相手に「僕」を使うのは自由だと思いますが、上司など目上の人に対して「僕」を使っているのを見ると、男は女以上にへりくだらんといけんのかっていう感じで、ちょっと嫌です。
敬称の「君(くん)」は同輩や目下の人に対する場合に限って用いられ、「さん」は年長者を含め広く一般的に用いられますが、女子に「さん」、男子に「君」と男女を区別するための使用されるというのは、どうも頂けません。これは男性には上下関係の厳しい環境に耐えることを要求してるのに対し、女性は上下関係をあまり意識せず自由でいいということを暗示しているかにも思えます。あと、小学生から男子の「君」に対して女子が「さん」っていうのは、女子は大人のようにお行儀よくしなさいというのを暗示してるようで、女子もかわいそうなので、女子も「さん」で呼ぶなら男子も「さん」で呼ぶべきと思います。松陰さえいなければ、おそらく学校で生徒を呼ぶときは呼び捨てで通っていて、悩むことはなかったはずでしょう。それを考えると恨みを感じます。
なぜなら松陰と彼の弟子たちによって「僕」「君」といった男性に特化した呼称が広まったからです。こういった言葉の性差には悩まされます。
「僕」とはしもべを意味します。辞書で「僕」を引くと、「親しい人や目下の人に対して用いる」と書かれているので、子供が「僕」と言うのは問題ないし、大人でも友達や子供相手に「僕」を使うのは自由だと思いますが、上司など目上の人に対して「僕」を使っているのを見ると、男は女以上にへりくだらんといけんのかっていう感じで、ちょっと嫌です。
敬称の「君(くん)」は同輩や目下の人に対する場合に限って用いられ、「さん」は年長者を含め広く一般的に用いられますが、女子に「さん」、男子に「君」と男女を区別するための使用されるというのは、どうも頂けません。これは男性には上下関係の厳しい環境に耐えることを要求してるのに対し、女性は上下関係をあまり意識せず自由でいいということを暗示しているかにも思えます。あと、小学生から男子の「君」に対して女子が「さん」っていうのは、女子は大人のようにお行儀よくしなさいというのを暗示してるようで、女子もかわいそうなので、女子も「さん」で呼ぶなら男子も「さん」で呼ぶべきと思います。松陰さえいなければ、おそらく学校で生徒を呼ぶときは呼び捨てで通っていて、悩むことはなかったはずでしょう。それを考えると恨みを感じます。
Posted by グリム伊藤公雄 at 2011年07月27日 19:23
グリム伊藤公雄さん
コメントありがとうございます。
吉田松陰や塾生から、「僕」「君」の呼称が始まり、差別用語なんですね。 初めて知りました。勉強になりました。
コメントありがとうございます。
吉田松陰や塾生から、「僕」「君」の呼称が始まり、差別用語なんですね。 初めて知りました。勉強になりました。
Posted by しょうやパパ at 2011年07月28日 03:16