2011年01月07日
無縁仏の記事
もう朝なので、昨日の記事ですが、
琉球新報29面の社会面に、無縁仏について記事がありました。
論旨を要約すると次のとおり。
○那覇市で、引き取りがない遺体数は毎年5件程度(いわゆる孤独死)
○引き取りを拒否する家族に、「せめて線香だけでも上げに来ませんか」と葬式業者が伝える
○引き取り拒否の一番の理由が故人が生前時の借金問題。(兄弟らは借金で迷惑をかけられた。)
○遺体を引き取れば火葬などの費用が最低でも20万円程度。他に初七日、四十九日など法要もある。
○拒否する側も生活が精いっぱい。だから線香は上げに来る。
○沖縄県民はチムグクル(情け深い心)はあるけど、お金がない
と、葬式業者からみた沖縄の社会を伝えた記事です。
で、おおきく見出しに、
「心だけでは引き取れず」
とあります。
最近、じぶんは”幸せ”をテーマにしているので、心にも非常に反応する自分がいます。
この記事を読んで、なんか切なくなるのですが、
何か心に引っ掛かります。
まぁ、新聞記者も葬式業者からみた沖縄社会ということで、葬式業者のコメントをそのまま引用しているので間違っているとは思いませんが、じぶんの中では何かが引っ掛かります。
何故か?
考えた結果、タイトルの「心だけでは引き取れず」に違和感を感じていたのです。
本当に”心”だけでは引き取れないのか?
そのタイトルのあとには・・・、推測するに、
「引き取りたくても、引き取り手も生活でいっぱいいっぱいだから、チムグクルがあっても・・・」と続くかと。
心があっても
引き取れない?
ほんとうにそうなのか?
20万円は確かに自分でも大金だが、なんか違うと思う。
兄弟が2人いれば半額になる。
もし、一括で支払うのが大変なら、
「分割でできないか?」と、相談することも可能だろう。
生活保護を受けている世帯なら市が負担するとか、他にも制度を考えていけばよいだけの話。
引き取る気が本当にあるのなら、いくらでも手段は考えられるだろうに。。。
結局、じぶんがこのブログで何度か伝えているように、
「お金は手段」なので、その手段であるお金に引き取れない原因を押し付けていることに自分は違和感を覚えたことに気づいたのです。
だから、タイトルは「心だけでは引き取れず」ではなく、
「感情が邪魔して引き取れず」か、「ウチナーンチュもチムグクルが薄れてきた」にすべきじゃないか・・・と。
かんたんに、「心はあっても」のような表現は使って欲しくないと思いました。
「心があれば」なんだってできるはず。
その心が社会に向けば、「志」になるんですから。
この記事を読んでて、先日の我喜屋監督の対談記事を思い出しました。
北海道勢が甲子園で負けるたびに、地元メディアは「夏がある」「北国のハンディ」を持ち出す・・・と。
メディアは甘い。僕ならこう書くね。「少しは頭を使え」と。
じぶんも我喜屋監督のおっしゃるとおりだと思います!
だから、駒大苫小牧は優勝できた。
「無縁仏」の記事を書くんだったら、
メディアもこんな記事ではなく、もっと厳しくてもいいから、社会の役に立ったり、読者の為になる書き方をしてほしいです。
沖縄のメディアが甘いと、沖縄社会も甘くなります。
沖縄を幸せにしたい、住みよい社会にするために、もっとメディアにはがんばって欲しいと思いました。
最後に・・・
自分の好きな作家である喜多川泰さんの著書、
「また、会おう」と誰もが言った
で、好きな言葉があります。
「ワシはなぁ、娘に好かれたいんやない。幸せになってほしいんや」
この言葉を新聞社に置き換えます。
「読者に好かれたいんやない 幸せになってほしいんや」
読者の”共感を得る”ことや媚びる視点ではなく、時には批判的になり、沖縄が幸せになるためには?という俯瞰的な視点から記事を書いてもらえると勉強になりますし、もっと沖縄の社会も良くなると思います。
沖縄は貧乏県だから・・・のようなお金の話で終わらせないでほしい。
琉球新報29面の社会面に、無縁仏について記事がありました。
論旨を要約すると次のとおり。
○那覇市で、引き取りがない遺体数は毎年5件程度(いわゆる孤独死)
○引き取りを拒否する家族に、「せめて線香だけでも上げに来ませんか」と葬式業者が伝える
○引き取り拒否の一番の理由が故人が生前時の借金問題。(兄弟らは借金で迷惑をかけられた。)
○遺体を引き取れば火葬などの費用が最低でも20万円程度。他に初七日、四十九日など法要もある。
○拒否する側も生活が精いっぱい。だから線香は上げに来る。
○沖縄県民はチムグクル(情け深い心)はあるけど、お金がない
と、葬式業者からみた沖縄の社会を伝えた記事です。
で、おおきく見出しに、
「心だけでは引き取れず」
とあります。
最近、じぶんは”幸せ”をテーマにしているので、心にも非常に反応する自分がいます。
この記事を読んで、なんか切なくなるのですが、
何か心に引っ掛かります。
まぁ、新聞記者も葬式業者からみた沖縄社会ということで、葬式業者のコメントをそのまま引用しているので間違っているとは思いませんが、じぶんの中では何かが引っ掛かります。
何故か?
考えた結果、タイトルの「心だけでは引き取れず」に違和感を感じていたのです。
本当に”心”だけでは引き取れないのか?
そのタイトルのあとには・・・、推測するに、
「引き取りたくても、引き取り手も生活でいっぱいいっぱいだから、チムグクルがあっても・・・」と続くかと。
心があっても
引き取れない?
ほんとうにそうなのか?
20万円は確かに自分でも大金だが、なんか違うと思う。
兄弟が2人いれば半額になる。
もし、一括で支払うのが大変なら、
「分割でできないか?」と、相談することも可能だろう。
生活保護を受けている世帯なら市が負担するとか、他にも制度を考えていけばよいだけの話。
引き取る気が本当にあるのなら、いくらでも手段は考えられるだろうに。。。
結局、じぶんがこのブログで何度か伝えているように、
「お金は手段」なので、その手段であるお金に引き取れない原因を押し付けていることに自分は違和感を覚えたことに気づいたのです。
だから、タイトルは「心だけでは引き取れず」ではなく、
「感情が邪魔して引き取れず」か、「ウチナーンチュもチムグクルが薄れてきた」にすべきじゃないか・・・と。
かんたんに、「心はあっても」のような表現は使って欲しくないと思いました。
「心があれば」なんだってできるはず。
その心が社会に向けば、「志」になるんですから。
この記事を読んでて、先日の我喜屋監督の対談記事を思い出しました。
北海道勢が甲子園で負けるたびに、地元メディアは「夏がある」「北国のハンディ」を持ち出す・・・と。
メディアは甘い。僕ならこう書くね。「少しは頭を使え」と。
じぶんも我喜屋監督のおっしゃるとおりだと思います!
だから、駒大苫小牧は優勝できた。
「無縁仏」の記事を書くんだったら、
メディアもこんな記事ではなく、もっと厳しくてもいいから、社会の役に立ったり、読者の為になる書き方をしてほしいです。
沖縄のメディアが甘いと、沖縄社会も甘くなります。
沖縄を幸せにしたい、住みよい社会にするために、もっとメディアにはがんばって欲しいと思いました。
最後に・・・
自分の好きな作家である喜多川泰さんの著書、
「また、会おう」と誰もが言った
で、好きな言葉があります。
「ワシはなぁ、娘に好かれたいんやない。幸せになってほしいんや」
この言葉を新聞社に置き換えます。
「読者に好かれたいんやない 幸せになってほしいんや」
読者の”共感を得る”ことや媚びる視点ではなく、時には批判的になり、沖縄が幸せになるためには?という俯瞰的な視点から記事を書いてもらえると勉強になりますし、もっと沖縄の社会も良くなると思います。
沖縄は貧乏県だから・・・のようなお金の話で終わらせないでほしい。
Posted by PR Director at 08:07│Comments(2)
│今日のNEWS
この記事へのコメント
私のブログへのコメントありがとうございます。
しょうやパパさんのブログ少し読ませていただきました。
共感できるところがあります。私と価値観が似ているようにも感じました。
時々拝見させてください。更新がんばって。
しょうやパパさんのブログ少し読ませていただきました。
共感できるところがあります。私と価値観が似ているようにも感じました。
時々拝見させてください。更新がんばって。
Posted by shokida at 2011年01月08日 06:29
shokidaさん
コメントありがとうございます。新聞社にはがんばってほしいので、お互い新聞ネタで盛り上げていきましょう。記者の各記事に対し、突っ込めるようになることが一人前の読者のような気がします。。。
コメントありがとうございます。新聞社にはがんばってほしいので、お互い新聞ネタで盛り上げていきましょう。記者の各記事に対し、突っ込めるようになることが一人前の読者のような気がします。。。
Posted by しょうやパパ at 2011年01月08日 07:24